年
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月
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号
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ヘッドライン
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1956年
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11月
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創刊号
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第71回白門祭始まる
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中大がメルボルン五輪に送り出すホープたち
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白門ヘラルド創刊を祝う=林(頼三郎)総長
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12月
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2号
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学生自治会、授業料値上げに抗議
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本校代表選手、メルボルンで金メダル二つ獲得
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1957年
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4月
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3号
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新入生入学、28,786人の受験者中3,440人が合格
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角田(啓輔)、宮田(俊彦)ストックホルム(卓球世界選手権大会)で健闘
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6月
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4号
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57年度学内体育祭開催
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中大応援団解散へ
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学生、英国の核実験に抗議集会
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7月
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5号
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中大自動車クラブ、本州一周ドライブ
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レスリング部、関東学生選手権で優勝
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9月
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6号
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国際学生会議終わる
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辻(自治会委員長)、世界青年学生平和友好大会(モスクワ)から帰国
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11月
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7号
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白門ヘラルド創刊1周年、中大の歴史に足跡残す
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総長、白門ヘラルドに祝辞寄せる
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松永(光)文部大臣、白門ヘラルドに祝辞
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12月
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8号
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伊藤(博=ESSメンバー)、スピーチコンテストで早稲田学長杯獲得
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中大ESS、第一回全国高校スピーチコンテストを開催
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1958年
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1月
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9号
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中大サッカー部、全国大学選手権大会で初優勝
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林総長、新年の祝辞寄せる
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4月
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10号
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新入生6,000人を歓迎
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林総長留任へ
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6月
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11号
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林総長死去
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中大OB24名が衆院選で当選
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9月
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12号
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新学長に柴田(甲子郎)氏
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中大新館完成
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11月
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13号
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片山(金章)副学長、当面の問題について語る、ヘラルドと会見
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学生、警察法改正に反対し抗議集会
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中大、司法試験合格で8年連続トップ
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12月
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14号
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中大大学院に院長ポスト新設
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SENA総会で同志社大学新聞の加盟承認(SENA=全国学生英字新聞協会)
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1959年
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1月
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15号
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柴田学長、中大のさらなる発展を強調=新年祝辞で
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中大、箱根駅伝で新記録優勝
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4月
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16号
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4,000人卒業、6,500人入学
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吉田(久)教授を大学院院長に任命
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5月
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17号
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学生自治会集会を妨害、反自治会派
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文連、反自治会派に反対声明(文連=文化団体連盟)
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7月
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18号
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スカルノ大統領を体育祭に招待、横溝(三郎)、5千メートルで14分27秒6を記録
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学生自治会委員長再選
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9月
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19号
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10月に白門際開催
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初の軽井沢夏季セミナー成功裏に終わる
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10月に「テラー杯」エッセーコンテストを開催へ (シドニー・テラー・シカゴ大学教授が大学を訪問した際にESS寄せた寄付金でカップを購入して創設)
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11月
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20号
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講堂で安保改正反対の学生集会、授業をボイコット
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応援団再編で合意ならず(応援団は不祥事を起こし前年3月に解散させられた)
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(ヘラルドは通常の4ページとは別に4ページの3周年記念特集号を発行。柴田学長、片山副学長がそれぞれ「社会は学生にさらなる英語の研鑽を求めている」、「国際交流促進に貢献する白門ヘラルド」と題する祝辞を寄せた。)
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11月
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21号
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白門祭、成功裏に終わる
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12月
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22号
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学生デモ隊、国会構内に乱入、警察が違反者取り調べ
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SENA総会、近畿大で開催(白門ヘラルドから初めて飛山 将、篠塚治男が出席)
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1960年
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1月
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23号
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箱根駅伝、中大11時間59分33秒の新記録で優勝
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4月
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24号
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新入生8,300人が入学
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春日町グラウンドで新校舎建設の土地調査始まる
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5月
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25号
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学生デモ隊、国会周辺で警官隊と衝突
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6月
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26号
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夜間部自治会、安保改正反対で2時間のストライキ
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全学連過激派が抗議集会
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9月
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27号
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ローマ五輪、ボクシング田辺(清)が最初の日の丸
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学生抗議集会で池田(勇人)内閣に批判集中
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11月
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28号
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大学基本規則の11月改定はむり、学長認める
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森(清)教授を法学部長に選出
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29号
白門祭特集号
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5日間の白門祭終わる
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12月
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30号
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新理事10名を選出
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来年度授業料20%引き上げへ
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1961年
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1月
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31号
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箱根駅伝、中大11時間55分40秒で3連覇
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4月
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32号
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片山副学長、ヘラルドと会見、80周年事業計画について語る
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8,007人が入学、受験生若干増える
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5月
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33号
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中大基本規則改正、近く最終承認へ
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ヘラルド5周年記念式5月29日に開催へ
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全学連、防衛法改正反対でデモ行進
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6月
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34号
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ヘラルド、各界代表招き5周年記念式典
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学生デモ隊、警官隊と衝突
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田中の代打ホームランで中大東都一部に復帰
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9月
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35号
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谷村、森氏、学長候補に
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基本規則改正秋まで延期
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10月
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36号
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柴田学長を全会一致で再選
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11月
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37号
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エドウィン・O・ライシャワー駐日米大使、中大で公演
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新5学部長を任命
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12月
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38号
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E・ブライス・ステーソン氏、放射能被害者の救済訴える(ステーソン・ミシガン法科大学名誉学長の中大での講演)
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ルイス・デル・コラル氏、欧州と世界の歴史を分析(コラル・マドリッド大学教授の中大での講演)
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1962年
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1月
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39号
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箱根駅伝、中大4連覇
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藤山(愛一郎)経企庁長官、日本経済の見通しを語る(1月10日中大での講演)
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4月
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40号
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創立80周年事業計画を評議委員会で承認
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中大、米国人講師に法学博士号を授与(対象者はベン・B・ブレークニー氏)
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文学部に博士課程設置
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5月
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41号
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中大、前日本サッカー選手権で初優勝
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学生自治会委員長、ヘラルドとの会見で今後の計画を語る
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6月
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42号
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大学当局、学生自治会と主要問題で合意
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中大、教授の定年制を採用
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9月
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43号
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韓国から大学生5人が友好促進で中大を訪問
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新校舎(80周年記念事業の一環)の青写真明らかに
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10月
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44号
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大学基本規則改正を承認、柴田学長、升本(喜兵衛)副学長辞意表明
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憲法調査会公聴会開催に反対し全学連、警官隊と衝突
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11月
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45号
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升本氏を新基本規則下で学長に選出
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白門祭、成功裏に終わる
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12月
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46号
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理工学部新校舎ほぼ完成
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中大、関東学生サッカー選手権で明治を破り2連覇
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1963年
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1月
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47号
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中大、箱根駅伝で初の5連覇
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4月
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48号
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中大、男子高校を小金井に開校
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62年の就職状況は良好
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5月
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49号
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学研連、駿河台校舎からの移転に難色示す(大学当局が学研連=学術研究会連盟=に対し部室の水道橋校舎移転を提案)
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全学連、メーデー集会を開催
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6月
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50号
12ページの特集号
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升本学長、ライシャワー米大使、ヘラルド50号に祝辞寄せる
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学研連3部、駿河台から移転、真法会は移転に反対
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(「世界平和をどう達成するか」と題する特集企画でバートランド・ラッセル、フィリップ・ノエルベーカー、デービッド・リースマン、ボイド・オール、蠟山政道、ジョン・デズモンド・バーナル、ライナス・ポーリング各氏からの特別寄稿を掲載)
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9月
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51号
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故ブレークニー教授遺族が、大学に800冊の書籍を寄贈
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日中貿易のメリット少ない=ライシャワー米大使、SENA編集者との会見で語る
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10月
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52号
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大学当局、学生自治会、「学生会館」問題で対立
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論説:ヘラルドの新しいスタート(ESSから分離した英字新聞学会による最初の新聞発行に際しての決意表明)
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11月
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53号
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中大、東都一部(野球)で優勝
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ケネディー米大統領暗殺される
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12月
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54号
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「学生会館」問題で新たな進展
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5教授を含む理事14名を任命
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1964年
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1月
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55号
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中大、箱根駅伝6連覇、若松(軍蔵)、最終区で日大を抜く
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自治会副委員長に退学命令
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4月
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56号
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37教授、定年制で退任(創刊以来ヘラルド会長だった内片孫一教授が退任、塚本重頼教授が英字新聞学会会長に就任)
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バートランド・ラッセル卿、平和基金設立を訴える(ヘラルドへの特別寄稿)
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5月
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57号
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学生合同委員会、「学生会館」問題で最終見解
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中大、ケーヴァーズ教授に名誉法学博士号授与(対象者はハーバード・ロウ・スクールのデービッド・E・ケーヴァーズ教授)
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6月
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58号
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(80周年記念事業)建設委員会、「学生会館」での最終判断持ち越す
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国際五輪委員会、インドネシア除名を解除(同国の東京オリンピック参加が可能に)
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中大、5(言語)教授を海外留学に派遣決定
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9月
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59号
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建設委員会第3回会合でも合意に至らず
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文学部新校舎完成、後楽園校舎から4,000人が移転
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10月
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60号
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中大選手、東京五輪で金メダル3獲得、日本全体では16個
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1965年
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1月
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61号
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中大、箱根駅伝で2位
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升本学長、創立80周年で祝辞
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4月
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62号
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大学当局、「学生会館」計画を発表
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新図書館建設へ
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5月
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63号
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升本学長、当面の問題で見解表明、ヘラルドとの会見で
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来年度は教授9名を海外留学派遣
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6月
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64号
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一般教養課程の八王子移転決まる
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中大、6大学春季バレーボール選手権で4連覇達成
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10月
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65号
20ページの創立80周年特集号
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中大、創立80周年を祝う
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(佐藤栄作首相、中村梅吉文相、ライシャワー米大使の祝辞を掲載し、法曹界、実業界、スポーツで活躍する中大OBを紹介。ほかにバートランド・ラッセル、ボイド・オール、デービッド・リースマン各氏のベトナム戦争に関する特別寄稿と5学部の教授による寄稿を掲載)
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11月
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66号
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升本学長再選
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各学部教授会、新5学部長を選出
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1966年
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1月
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67号
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「学生会館」問題で5日間のスト実施
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中大、全日本大学サッカー選手権で立教破り優勝
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中大、箱根駅伝で4位に終わる
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4月
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68号
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11、210人迎え入学式
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評議委員会で新年度予算承認
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5月
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69号
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学部長、(「学生会館」に関する)学生側の主張に反論
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学内2委員会が中大の将来計画を発表
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6月
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70号
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多摩校舎移の基本計画固まる
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「学生会館」問題で4,568人の学生が投票参加
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10月
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71号
12ページのヘラルド創刊10周年記念特集号
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ヘラルド創刊10周年を迎える(10周年を記念して寄稿文を集めた「A Collection of Essays & Articles」を刊行すると一面に告示)
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「学生会館」問題に関する予備的話し合い始まる
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(5ページを割いて障害者問題を特集、「なぜ社会福祉はかくも冷血なのか」と題する作家水上 勉氏の特別寄稿を掲載)
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12月
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72号
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「学生会館」問題で再びスト突入
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1967年
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4月
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73号
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井上(達雄)教授を新学長に選出
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片山(金章)教授、定年で退任(ヘラルドのアドバイザー役も退任)
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6月
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74号
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中大、東都大学野球春季大会で優勝
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中大アルペン部、アフガニスタンのコー・イ・バンダコール峰登頂開始
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7月
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75号
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井上学長、ヘラルドと会見、将来計画を明かす
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中大、第16回全日本野球選手権で慶大破り優勝
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10月
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76号
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中大アルペン部、コー・イ・バンダコール峰登頂に成功
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安川(定男)教授を学生部長に選出
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11月
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77号
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羽田空港で学生を多数拘束
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大学当局、授業料値上げを計画
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1968年
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1月
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78号
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授業料値上げ反対ストで学内機能マヒ
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中大、19回大学バスケットボール選手権で優勝
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5月
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79号
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再建目指し学内人事刷新
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校内抗争で100人負傷
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6月
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80号
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全学連学生、駿河台一帯を占拠
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国内の学園紛争さらに激化
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10月
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81号
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日大での紛争、近く収拾へ
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中大の「大衆団交」、合意に至らず
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11月
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82号
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反戦デーで全国集会開催
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28日に学長選挙
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12月
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83号
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学生、常置委員会の廃止を求め全面スト突入
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戸田(修三)教授を新学長に選出
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学園紛争、長期化の見通し
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1969年
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3月
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84号
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大学当局、警官導入し学校をロックアウト
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学内集会で学生222人を検挙
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5月
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85号
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全学「団交」失敗に終わる
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7月
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86号
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期末試験、異例のレポート方式で実施
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大学当局、授業再開に不安示す
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全国規模で安保反対集会
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11月
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87号
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全中闘、学生3,000人を動員(全中闘=全学中央闘争委員会)
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授業、9か月ぶりに再開
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佐藤(栄作)首相訪米で検挙者多数
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1970年
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2月
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88号
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異常事態で期末試験始まる
|
大学紛争、就職戦線に影響なし
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7月
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89号
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全国各地で日米安保条約延長反対集会
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「新左翼」各派が全国764地点で安保反対集会
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12月
|
90号
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第5回国際反戦デー平穏に終わる
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学生が「移民法」に反対
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1971年
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7月
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91号
長期化した学園紛争の影響で白門ヘラルドの発行が年間一回となる
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沖縄返還協定で抗議集会
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チッソ、公害反対運動で行き詰まる
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92号
見当たらず
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−
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1972年
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7月
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93号
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一面に論説:「解決を待つ問題山積」
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不況でさえない就職状況
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沖縄返還反対闘争で学生127名逮捕
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94号
見当たらず
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−
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1973年
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7月
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95号
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授業料引き上げで学生代表、理事会メンバーと話し合い
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地下のサークル部室、4年ぶりに使用可能に
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4面に「真の教育改革とは何か?」と題する特別記事掲載
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1974年
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7月
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96号
白門ヘラルド、1974年7月号から2年間発行中断
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国民運動を抑圧する刑法改正
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インフレ(記事のリードで「福田赳夫蔵相の言う“狂乱物価”が限られた予算で生活する多くの学生に深刻な影響をおよぼしている」と書いている。
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1976年
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9月
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97号
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学生の同意なしに進む90周年記念事業
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民青、学内でマラソン集会開く(民青=日本民主青年同盟)
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論説:「どうなる自民党」(7月の田中角栄前首相の逮捕を受けて)
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1977年
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7月
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98号
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大学当局、学生自治会容認へ
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問題化する「越境入学」
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1978年
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6月
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99号
中大の多摩校舎移転後の最初の発行
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中大、多摩新校舎に移転(2,3面で新校舎を写真中心に紹介)
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中大、歴史的転換点に
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12月
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100号
8ページの創刊100号記念特集号
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白門祭、10年ぶりに再開
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1979年
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6月
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101号
|
授業料引き上げは誰の責任か?
|
中大、全国野球選手権大会で優勝
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1980年
|
4月
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102号
|
警官監視下で期末試験実施
|
入学志願者数激減、授業料引き上げの影響か
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7月
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103号
|
就職部、3年生の“頑張り”を期待
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駿河台校舎で閉校式
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12月
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104号
|
保護主義はアメリカ自動車産業を救えるか?
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日本の労使関係に変化
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1981年
|
1月
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105号
|
大学当局、創立100周年記念事業計画を近く発表
|
富坂に新校舎完成
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5月
|
106号
|
新入生7,616名を歓迎
|
後楽園に新図書館完成
|
ヨハネ・パウロ2世・ローマ法王、日本訪問
|
7月
|
107号
|
新入生歓迎会開く
|
多摩移転後に自殺者増える
|
11月
|
108号
|
ヘラルド、創刊25周年を祝う
|
新学長に川口(弘)教授を選出
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12月
|
109号
|
法学部関係者、司法試験合格者の不振に衝撃受ける
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孤立する後楽園校舎の問題点
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1982年
|
5月
|
110号
|
“多摩育ち”の6,160名が卒業
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江口(栄一)教授に学士院賞
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11月
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111号
|
100周年記念事業で学生の考え無視しない
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中大、100周年記念行事で留学生受け入れ増加へ
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112号
|
白門祭、分裂開催。三グループの問題点
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1983年
|
5月
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113号
|
米原子力空母エンタプライズ、日本寄港
|
スペースシャトルに初の日本人搭乗か?
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7月
|
114号
|
入試試験制度改革
|
障害者に閉ざされる就業機会
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11月
|
115号
|
中大生の海外留学見通し
|
ヘラルドの“師”中島申祥氏死去
|
中大ボート部、全日本学生選手権で優勝
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1984年
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4月
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116号
|
「統一サークル会議」の基調を確認
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ジャーナリズム学会代表を「白門連盟」委員長に選出(白門連盟=未公認サークルを構成員とする学生団体)
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7月
|
117号
|
白門、新入生を迎える
|
「広い心を持て」-三浦(朱門)氏が中大で講演
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10月
|
118号
|
中大初の日仏語新聞発刊
|
中大ボート部、全日本学生選手権二連覇
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1985年
|
5月
|
119号
|
二世紀目に入る中大 -ヘラルド、川添(利幸)学長と会見
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1986年
|
1月
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120号
|
白門祭にぎやかに開催
|
中大百周年記念式典を開催 - 一般学生の祝賀気分は?
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4月
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121号
|
オルタネティブ・シンドロームとは何か?畑山 博さんに聞く
|
緊張の瞬間―合格者発表を見る受験者
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7月
|
122号
|
早期の「大衆団交」を -新文連委員長
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新入生7,000名が入学
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1987年
|
2月
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123号
|
ヘラルド創刊30周年 -塚本前会長が祝辞
|
30年で学生はどう変わったか?
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脳死問題 -中島みちさんに聞く
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4月
|
124号
白門ヘラルド、発行形態をマガジン・スタイルに変更
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特集=管理教育の諸問題
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1988年
|
2月
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125号
|
特集=ペットボトルの研究
|
1989年
|
1月
|
126号
|
中央委員会、クラブ問題解決に前向き決断
|
論説:将来に向けた日本の選択 -高齢化社会問題
|
7月
|
127号
|
特集=「だめだと音をあげない」-ボクシング部 山崎聡選手
|
12月
|
128号
|
特集=エネルギーを考える -原子力の現在と将来
|
ニュース報道を模索するテレビジャーナリズム
|
1990年
|
4月
|
129号
|
特集=ヨーロッパで進行する新たな潮流
|
生物をむしばむ酸性雨
|
日本で働く未熟練外国人労働者
|
7月
|
130号
|
特集=地球上でいま何が起きているか?
|
-地球を救うため何ができるか?
|
-海洋汚染防止が急務
|
結婚:現代版 お見合いか恋愛結婚か?
|
12月
|
131号
|
特集=「快適な暮らしを」-精神障害者施設「棕櫚亭」を訪ねて
|
危ない電話 -他人に盗聴されるコードレス電話
|
1991年
|
4月
|
132号
|
特集=日米関係
|
-アメリカ生まれの日本製品
|
-避けがたい貿易摩擦
|
環境問題 -さまようプラスティック
|
高木(友之助)学長インタビュー
|
9月
|
133号
|
特集=銀行業界、新時代の幕開け
|
高齢者問題 -働くことで社会参加を希望
|
漢方薬ブームの陰に問題あり
|
1992年
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5月
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134号
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特集=第3世界の孤児たち
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東京特派員―インド・ヒンズー紙極東特派員ナラインさんに聞く
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7月
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135号
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特集=神聖な海 -マリンスポーツ・ブームへの警鐘
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あなたにとって国際化とは何か?
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ケネディー暗殺が語ること
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1993年
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1月
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136号
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特集=血液型は性格と無関係
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達成困難な人種平等
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4月
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137号
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特集=丹波哲郎さんに聞く
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波を訪ね歩く -ハワイ在住写真家カーク・L・エーダーさん
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5月
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138号
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オードリー・ヘップバーン死去
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相撲国際化の是非
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7月
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139号
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特集=AIDSパニックとは何か?
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MD-次期オーディオ・システム
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12月
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140号
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特集=医学は医師の専売特許か?
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みんなサザエさんが大好き
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1994年
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4月
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141号
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特集=骨髄バンクに登録しませんか?
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「ナイトウオーク」しようよ
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「ゴルフ場建設反対」に異議あり
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10月
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142号
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特集:伝統の中の近代化 -パリ
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ポールポジションを愛したアイルトン・セナ
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ナリタブライアンの三冠達成は成るか?
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1995年
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1月
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143号
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特集=政界再編が日本の将来を決める
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日本人の学校好き - 語学学習
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4月
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144号
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特集=オーストラリア人学生の見る日本とオーストラリア
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7月
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145号
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特集=帝国海軍の人間魚雷「回天」-終戦50年
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貴乃花の力は本物か?
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11月
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146号
ヘラルド創刊40周年特集号
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特集=新しい時代を求めて -日本と韓国
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1 日本人の韓国観
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2 私の韓国の印象
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1996年
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4月
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147号
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特集=外国人留学生に会いましょう
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阪神淡路大震災
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1997年
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4月
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148号
新入生歓迎特集号
和英両文編集の4ページタブロイド版
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特集=「就職難」に負けない
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入学おめでとう
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これが私の生きる道 -作家鷺沢 萌インタビュー
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教祖になった男 -尾崎 豊
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11月
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149号
和英両文編集の12ページ建て。題字を「Hakumon Herald」から「HERALD」に変更
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Bloody Sunday -北アイルランド紛争
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プロ野球界の蔭
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グローバリズムの到来 -APECの可能性
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